ニヤマ
こんにちは。
フィヤージュジャズダンス&ヨガスクール インストラクターのANRIです🍎
「ヨガの八支則」の中から、二つ目の教え、「二ヤマ」について。
「ニヤマ」とは
日常生活において、行うとよい5つの「勧戒」のことをいいます。
追及すべきことをほのめかした、心の浄化をはかるための5つの教えです。
- シャウチャ‥清浄
- サントーシャ‥知足
- タパス‥修練
- スヴァディヤーヤ‥読誦、聖典を読むこと
- イーシュヴァラ・プラニダーナ‥献身
「シャウチャ」は、身の回りのことはもちろん、身体も心も清らかなこと。
「思い」「言葉」「行為」全てにおいて「純質(サットヴァ)」であること。
清々しい気持ちで何かに向き合うことを勧める教えです。
身の回りや環境を整理整頓すると集中しやすく、頭の中もきれいに整いやすくなります。
学生の時、試験前に勉強しようとすると、まわりが気になって部屋の掃除をしたり別のことに気をとられてしてしまう。。という経験がある方も多いのではないでしょうか
ヨガを行う際にもヨガマットのまわりに携帯電話があったり、部屋が散らかっていたりすると
やはりそちらに目がいってしまって集中しずらいですよね。
SNSなどでミニマリストの投稿なども話題に上がりますが、
持ち物を自分自身が管理しやすい数に減らすことも、「シャウチャ」に近づく方法の一つかもしれません。
2つ目の「サントーシャ」は
「ヤマ」の5つ目の教えである「アパリグラハ」とセットで考えると分かりやすく、
今に満足しましょうという優しい教えです。
シンプルに、自分自身に最低限必要なもので満ち足りた生活を楽しむ練習です。
何も欲してはいけないということではなく、与えられた現状をまず受け入れて、
感謝してから肯定の姿勢から物事に対処していく教えです。
それは、人や物だけでなく、自分自身に満足する、自分自身を好きになること。
自分の嫌いなところを好きになるためにはどうするか?
自分に対して相応しいものは十分に与えられていて、それをうまく循環していくことです。
3つ目の「タパス」は、苦行、困難なことにも進んで挑戦すること。
今の自分に必要な試練を乗り越えようという教えです。
修行や苦行、訓練といった過酷なイメージがありますが、
「ヤマ」の「アヒムサ(非暴力)、「サティヤ(嘘をつかない)」とのバランスが大事です。
頑張りすぎて、自分自身を痛めつけていないか?自分の限界から目を背けて走り続けていないか?
どうしても習得したいヨガのアーサナがあって、それに向かって「タパス」鍛錬することに度が過ぎてしまい、
怪我や身体を痛めつけてしまっては、「アヒムサ」、「サティヤ」に反することになってしまいます。
「タパス」はむやみに酷使するのではなく、今の自分の現実を受け入れる訓練でもあります。
4つ目の「スヴァディヤーヤ」は聖典を読むこと、マントラを唱えること。
学び続けることで精神性を高めるという教えです。
ヨガの聖典は、あまり馴染のないものですが、歌や音楽で聴いたり歌ったりすることで親しみやすいものになるかもしれません。
私も、最初はなんだか言葉も良く分からないし宗教的な感じがして、なかなかピンとこなかったのですが
自分自身の怒りのコントロールがつかなくなってしまったときに、
マントラを唱え続けることで、とても心が落ち着いた経験があります。
私達の身体は70~80%が水分で構成されているので、発する優しいマントラ(言葉)が波動して、全身に広がったのかなぁなんて思ったりしています。
何回もマントラを繰り返すことで、自分自身が発する言葉のみに意識が向き、心の平安を求め、心の癖を整えるための練習です。
5つ目の「イーシュヴァラ・プラニダーナ」は、自然の摂理を尊重し、自分自身をゆだねる教えです。
全てのもののために丁寧な考えや判断をすること、様々な自然の恩恵に感謝すること。
何かを粗末に扱うことは、自分をも粗末に扱うということ。
ヨガのゴールといっても過言ではない、全ての物に対して価値を見出してそれらに敬意を払うことです。
何だか規模が壮大過ぎてまだまだ自分の中に落とし込めていませんが
「ヤマ」と「ニヤマ」を総じていえることは
ヨガの目的である本来の自分を見つける、自己実現のためには
日々の暮らしの中での、良い生活習慣の積み重ねが最も重要で
自分自身の「思い」「言葉」「行為」を見直し
それに幸福感を感じながら時間を過ごしていきましょうということかな、と解釈しています。
その過程でアーサナをとったり瞑想したりマントラを整えたり、
自分自身の力だけでは困難なことが多いので、便利な道具としてヨガを取り入れていければいいなと。。
ANRI