太陽礼拝🌞
こんにちは。
フィヤージュジャズダンス&ヨガスクール インストラクターのANRIです🍎
前回の投稿からまさかの1ヶ月以上経過😨あっという間に年の瀬です💦
今日は「太陽礼拝」について。
「太陽礼拝」は、ヨガをはじめたらまず最初に出会うシークエンスなのではないでしょうか。
サンスクリット語では「スーリャ・ナマスカーラ」、英語では「サン・サルテーション」と呼び、
その名の通り、太陽(太陽の神様🌞)に礼拝または挨拶をするという意味です。
太陽は、地球上のすべての生き物に平等に、光と熱のエネルギーを与えてくれます。
「太陽礼拝」は、その太陽の恩恵に感謝をし、
全身を使った動きで、身体の両手や胸・膝・つま先を大地につけ、自分の全てを捧げ、
全身全霊で病気や心の悩み、災害などに打ち勝つ力を授けてくれるように祈願する意味が込められているそうです。
立位のターダアーサナ(山のポーズ)からはじまり、
まず太陽に合掌を授けてから、呼吸とともにポーズをリズミカルに連続して動いていくシークエンス。
代謝を上げ、全身の血流を促進し、脂肪燃焼効果も期待できます。
各部位を適度にまんべんなく動かす さまざまなアーサナ(ポーズ)によって
筋力アップや柔軟性の向上にも効果的なシークエンスですが、
精神面でも得られるものが多いと言われています。
私たち現代人は、何もしていないと、どうしても心が動きやすいため
「太陽礼拝」のように、決まった型を次から次へと呼吸と連動させながら動く事で
自然と集中し、心に静けさが宿ってくれます。
そのことから「動く瞑想」とも呼ばれています。
仏教では、人間には108つの「煩悩」があると言われており、
この煩悩によって心身が乱され、迷いや苦しみが生まれてしまいます。
大晦日の「除夜の鐘」は、その煩悩を払い、良い年を迎えるための願いが込められているそうです。
「太陽礼拝」にも”一つの礼拝ごとに、煩悩を一つずつ浄化していく”という想いを込めて
当スクールでも、先日、実に8回目!!となる「太陽礼拝108回」のイベントを行いました(*^^*)
今年も108回無事に太陽礼拝を達成することができ、清々しい気持ちです。
今回、「太陽礼拝108回」のイベントに参加できなかった方も
年末年始などの節目や、次なる目的地へ向かう際に、「太陽礼拝」チャレンジしてみては?🌞
自身探求のための智慧へと近づく第一歩となるかも。。
皆様、良いお年を~♪
ANRI
アーサナ
こんにちは。
フィヤージュジャズダンス&ヨガスクール インストラクターのANRIです🍎
「ヨガの八支則」の中から、三つ目の教え、「アーサナ」について。
「アーサナ」=「ポーズ」と捉えている方も多いかと思いますが、
「アーサナ」は、本来「坐法」という解釈です。
サンスクリット語で”座る”という意味の動詞である”アース”が語源で、
瞑想のための姿勢を意味しています。
私達は、普段のヨガレッスンで様々な名前のつく「アーサナ」の練習をしていますが、
ポーズをとることのみが目的ではなく、”瞑想を行うための準備の一つ”であるという教えです。
ヨガの教典「ヨガスートラ」では、
「アーサナは、快適且つ安定していなくてはならない」と定義されています。
”快適”のみを求めると、だらりと力を入れずに姿勢を保つことはできません。
”安定”のみを求めると、ガチガチに固めたりすることで力を入れてぶれない状態を作ることはできるかもしませんが、
安定感と引き換えに”痛み”を伴ってしまうかも。。それは「アヒムサ」に反しています。
”快適さ”と”安定”のその後のバランスのちょうど良いところに身体を置く事。
自分自身の身体を観察し、姿勢を整えるまでのプロセスや、ポーズをホールドしている最中、それを解くときも、自分自身の身体とじっくり向きあう事。
48分間連続して座ることが「アーサナ」の完成とも言われています。
自分が思う楽な姿勢で、座って目を閉じてみてください。
2~3分だったら難なく過ごすことができるでしょう。
それが10分、20分と長くなるにつれ、お尻がもぞもぞしてきたり、身体のどこかが痛くなったり不具合が生じてきます。
その長い坐法のために必要な柔軟性や筋力を手に入れるため、たくさんのポーズの練習を行っているのです。
また、ヨガの本来の目的である「心の作用の止滅」へ向かう際、
動き回る心をコントロールすることはとても困難なため、まず、体を整えましょうという教えです。
肉体的操練を通して自己を整えるということ。
心と体は常に連動しています。
「アーサナ」の練習は体を「サットヴァ(純質)」な状態へ、
それは上辺だけの鍛錬のみでなく、内面的な心の「サットヴァ」へと導くこと。
実は、普段のレッスンで行っているポーズをとることで起こる、健康法であったり、ストレス解消法は、
ヨガの本来の目的の副産物に過ぎないのです。
「心の作用の止滅」という目標が先にある時、手前のゴールである”ポーズをとること”はもはや通過点。
長い長い道のりですが。。
ヨガという便利な道具を携えて、無理をせず自然に歩んでいきたいものです。
ANRI
ニヤマ
こんにちは。
フィヤージュジャズダンス&ヨガスクール インストラクターのANRIです🍎
「ヨガの八支則」の中から、二つ目の教え、「二ヤマ」について。
「ニヤマ」とは
日常生活において、行うとよい5つの「勧戒」のことをいいます。
追及すべきことをほのめかした、心の浄化をはかるための5つの教えです。
- シャウチャ‥清浄
- サントーシャ‥知足
- タパス‥修練
- スヴァディヤーヤ‥読誦、聖典を読むこと
- イーシュヴァラ・プラニダーナ‥献身
「シャウチャ」は、身の回りのことはもちろん、身体も心も清らかなこと。
「思い」「言葉」「行為」全てにおいて「純質(サットヴァ)」であること。
清々しい気持ちで何かに向き合うことを勧める教えです。
身の回りや環境を整理整頓すると集中しやすく、頭の中もきれいに整いやすくなります。
学生の時、試験前に勉強しようとすると、まわりが気になって部屋の掃除をしたり別のことに気をとられてしてしまう。。という経験がある方も多いのではないでしょうか
ヨガを行う際にもヨガマットのまわりに携帯電話があったり、部屋が散らかっていたりすると
やはりそちらに目がいってしまって集中しずらいですよね。
SNSなどでミニマリストの投稿なども話題に上がりますが、
持ち物を自分自身が管理しやすい数に減らすことも、「シャウチャ」に近づく方法の一つかもしれません。
2つ目の「サントーシャ」は
「ヤマ」の5つ目の教えである「アパリグラハ」とセットで考えると分かりやすく、
今に満足しましょうという優しい教えです。
シンプルに、自分自身に最低限必要なもので満ち足りた生活を楽しむ練習です。
何も欲してはいけないということではなく、与えられた現状をまず受け入れて、
感謝してから肯定の姿勢から物事に対処していく教えです。
それは、人や物だけでなく、自分自身に満足する、自分自身を好きになること。
自分の嫌いなところを好きになるためにはどうするか?
自分に対して相応しいものは十分に与えられていて、それをうまく循環していくことです。
3つ目の「タパス」は、苦行、困難なことにも進んで挑戦すること。
今の自分に必要な試練を乗り越えようという教えです。
修行や苦行、訓練といった過酷なイメージがありますが、
「ヤマ」の「アヒムサ(非暴力)、「サティヤ(嘘をつかない)」とのバランスが大事です。
頑張りすぎて、自分自身を痛めつけていないか?自分の限界から目を背けて走り続けていないか?
どうしても習得したいヨガのアーサナがあって、それに向かって「タパス」鍛錬することに度が過ぎてしまい、
怪我や身体を痛めつけてしまっては、「アヒムサ」、「サティヤ」に反することになってしまいます。
「タパス」はむやみに酷使するのではなく、今の自分の現実を受け入れる訓練でもあります。
4つ目の「スヴァディヤーヤ」は聖典を読むこと、マントラを唱えること。
学び続けることで精神性を高めるという教えです。
ヨガの聖典は、あまり馴染のないものですが、歌や音楽で聴いたり歌ったりすることで親しみやすいものになるかもしれません。
私も、最初はなんだか言葉も良く分からないし宗教的な感じがして、なかなかピンとこなかったのですが
自分自身の怒りのコントロールがつかなくなってしまったときに、
マントラを唱え続けることで、とても心が落ち着いた経験があります。
私達の身体は70~80%が水分で構成されているので、発する優しいマントラ(言葉)が波動して、全身に広がったのかなぁなんて思ったりしています。
何回もマントラを繰り返すことで、自分自身が発する言葉のみに意識が向き、心の平安を求め、心の癖を整えるための練習です。
5つ目の「イーシュヴァラ・プラニダーナ」は、自然の摂理を尊重し、自分自身をゆだねる教えです。
全てのもののために丁寧な考えや判断をすること、様々な自然の恩恵に感謝すること。
何かを粗末に扱うことは、自分をも粗末に扱うということ。
ヨガのゴールといっても過言ではない、全ての物に対して価値を見出してそれらに敬意を払うことです。
何だか規模が壮大過ぎてまだまだ自分の中に落とし込めていませんが
「ヤマ」と「ニヤマ」を総じていえることは
ヨガの目的である本来の自分を見つける、自己実現のためには
日々の暮らしの中での、良い生活習慣の積み重ねが最も重要で
自分自身の「思い」「言葉」「行為」を見直し
それに幸福感を感じながら時間を過ごしていきましょうということかな、と解釈しています。
その過程でアーサナをとったり瞑想したりマントラを整えたり、
自分自身の力だけでは困難なことが多いので、便利な道具としてヨガを取り入れていければいいなと。。
ANRI
ヤマ
こんにちは。
フィヤージュジャズダンス&ヨガスクール インストラクターのANRIです🍎
先月お伝えした「ヨガの八支則」から、「ヤマ」について。。
「ヤマ」とは
日常生活において、すべきことではない5つの「禁戒」のことをいいます。
避けるべきことをほのめかした、5つの教えです。
- アヒムサ‥非暴力
- サティヤ‥嘘をつかない
- アスティーヤ‥盗まない
- ブラフマチャリヤ‥禁欲
- アパリグラハ‥貪らない
「アヒムサ」は、単純に他人に暴力をふるわないということだけでなく
”自分を責めない”、”痛めつけない”、思いやりを含めた観念です。
一番最初にきている教えなので、この後に続く教えにも深く関わっています。
単に非殺生や物理的に暴力をふるわないということだけでなく
暴言を吐いたり、傷つくことを言わない、そして頭の中でも否定的なことを考えないこと。。
「思い」「言葉」「行為」において「アヒムサ」に徹すること。
自分自身にも、自分以外にも、生きとし生けるもの全てへの優しさ。
他人に対して「言葉」や「行為」の非暴力はできていても
自分に対しての「思い」のコントロールってとても難しいですよね。
また、自分自身は傷つけるつもりななくても、無意識にということもあります。
単純に思えて、「アヒムサ」に徹すること、果たしてできているかな。。と考えさせられます。
次に
「サティヤ」について
嘘をつかない、正直であること。
自分自身にも他人にも正直であること。自分を偽らないこと。
会話の中で嘘をつかないことはもちろんですが、
「サティヤ」は、「アヒムサ」で学んだ、自分や他者や自然を傷つけないように
「思考」と「言葉」と「態度」に一貫性をもつ教えです。
どんなに美しい言葉を並べても、思考や態度が裏腹であれば、それは自分にも他人にも正直でないということ。。
そして、
頑張りすぎていないか、無理しすぎていないか、自分自身の心と体の限界を認めてあげることも「サティヤ」の教えです。
3つ目の「アスティーヤ」
生きとし生けるものに共通して与えられているものを奪わないこと。
人が快適に過ごしていることの邪魔をしない。
例えば待ち合わせ時間に遅刻することは、その人の時間を奪っていることになります。
ありがちな行動ですが、「アスティーヤ」に反している行いです。
また、幸せな人や喜びに嫉妬することも「アスティーヤ」に反しているという考えです。
「隣の芝生は青く見える」ということわざもありますが、
私達は自分にもっていないものを欲しがり、羨ましく感じてしまうものです。
「アスティーヤ」は、他人が持っているもの、所属しているものを欲しがったり奪ったりしない練習です。
4つ目の「ブラフマチャリヤ」は
辞められないもの、止められないものに対し制限をかけて切り離すことの教えです。
特に、「不倫」などを強く禁じた教えです。
快楽にふけることを制御する練習です。
前回のヨガの心の変遷でも、現代はヨガの暗黒時代、惑わされた心を持つ人が増え
テレビや雑誌で「不倫」が報道されることが多いのかなぁと思ったりします。
5つ目の「アパリグラハ」は
あらゆるものに対して執着を持たないこと。
その執着を手放したときに様々な知識を得ることができるという教えです。
どんなに所有しても満足感を得られず足りない。。
SNS等で物欲を煽るようか広告も多いですよね。。私も毎回踊らされていますが。。
「足りない」という結論から人は貪欲になりがりです。
その執着してしまう、欲しがってしまう、自分の心の根っこの問題を注意深く観察して、貪欲にならない教えです。
できていないことが多すぎる。。と落ち込んでしまうかもしれませんが。。
だからこそヨガをするんだと前向きに捉えましょうね。
全てを禁じてがんじがらめにするのではなく
慌ただしいこの現代社会で、
自分は自分自身にも他人にも優しくしているか、正直であるか
必要なものだけを所有しているか、問いかけるきっかけになればと思います。
ANRI
ヨガの目的
こんにちは。
フィヤージュジャズダンス&ヨガスクール インストラクターのANRIです🍎
身体の健康とヨガに関連するお話がメインでしたが、少しずつ哲学的な内容も盛り込んでいこうと思います。
”あなたにとって「ヨガ」とはどんな存在ですか?”
”幸せって何ですか?”
ヨガの哲学は、「心の筋トレ」とも言われていて
考えても考えてもなかなか答えが出ません。。
ヨガって何なのでしょう?
健康法?ストレッチ?癒し?マインドフルネス?
色んな感じ方、その人にとっての「ヨガ」があるかと思いますが
私にとっては
「自分の本質を知るための手段」「道」「考え方」という捉え方がしっくりくる気がしています。
身体がもともと柔軟であるわけでもなく身体能力が高いわけでもなく
コンプレックスの塊だった私に
”自分が困難だと感じるアーサナに対してゴールを決め、そこに至るまでの道のりを丁寧に味わうことがヨガ”
そして、
そのゴールよりも”プロセスが大事”だと、ヨガに教えられたときにとても救われる思いがしました。
”なんだ、できなくてもいいんだ”
フッと肩の荷がおりた気がしました。
「ヨガ・スートラ」といって、キリスト教でいう聖書のような
ヨガの教典ともよばれる書物があります。
そこに記されているヨガの目的は「ココロの作用の止滅」と訳されることが多く
心を静かにしてシンプルに物事を捉えることで、その本質に気づく事ができるということです。
また、シンプルに捉えることで何事にも囚われない自分がいることに気づくことができる、というのです。
では、具体的にどのようなことをすれば「囚われ」から解放されるのか
幸福感を味わうための実践編として「ヨガの八支則」というステップがあります。
- ヤマ(日常生活においてすべきことでない5つの禁戒)
- ニヤマ(日常生活において行うとよい5つの勧戒)
- アーサナ(座法)
- プラーナヤーマ(調気法)
- プラティヤハーラ(感覚の統制)
- ダーラナ(集中)
- ディヤーナ(瞑想)
- サマディ(三昧、悟り)
すべてはこの8つ目の「サマディ」に達するまでの鍛錬・段階なのですが、
このステップは、4000年のヨガの歴史の中で、人々の心が移り変わっていく「心の変遷」に深く関わっています。
ヨガの歴史の中で、第1段階と呼ばれる「自然主義」の時代、
人は自らと調和し、自然とともに生きていました。
真実や美しさ、そのものの価値を自分自身や自分の周りに見出し、大半の人はマインドを筋肉のように
必要なときのみに動かしていたそうです。
そう、この時代の特徴が「ヨガ・スートラ」でヨガの目的とも記されている「心の作用の止滅」です。
第2段階の「神秘の時代」、多くの人々が心の作用の止滅状態を失ってしまいました。
その代わり「心は1点に集中」するようになり、瞑想することで心を静めることができていました。
第3段階の「哲学の時代」、時代の流れとともに大多数の人が集中する能力を失い、「散漫な心」を持つように。。
この時代に「パタンジャリ」が登場し、「ヨガ・スートラ」が誕生したと言われています。
第4段階の「テクノロジーの時代」、ヨガの歴史上では「暗黒の時代」といわれ、
人々は「惑わされた心」を持っていると考えられています。
自分の外見や富やさまざまな事柄で頭がいっぱいになっている状態です。
今がまさにこの時代です。
こういった人類の経験した歴史的進展を「逆転」していくことが
「ヨガの実践」であり、先ほどの「ヨガの八支則」のステップなのではないかと考えられています。
惑わされた心を持つ私達は、まず自分の内側に意識を向け直して
「散漫な心」に気づき、「動く瞑想」とも呼ばれるヨガのアーサナをとることで
呼吸や動かしている身体の一部に一点集中し、その先に訪れるかもしれない「心の平穏」を探し続けることが
「ヨガ」なのではないかと想います。
殺伐としていて生き急ぐ人たちで覆われている。。こんな時代だからこそ「ヨガ」が求められているのではないかと想います。
2020年の日本のヨガ人口は10%だそう。。
もっとより多くの方がヨガを通して心と体が安定し本来の自分を取り戻せますように。。
ANRI